青砥酒造とは

酒造りにかける思い

青砥酒造が酒造りに臨むとき、心に留め置くのは「酒が人を造り、人が酒を造る」という言葉です。「酒」の部分を「子供」に、「人」の部分を「親」に置き換えてもいいかもしれません。酒も子供も、見ればどれだけ愛情を注がれたか、育てた人間の人となりがどんなものかを、正直に映し出します。青砥酒造では、すべての工程に手を抜かず、子供を育てるように情熱を持って、上質な日本酒を伝えていきます。

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青砥酒造の歩み

戦前

古来より良質の砂鉄が採れることで知られる安来市。戦国時代には、鉄をめぐって尼子、毛利両軍の激突の地となりました。1895年(明治28年)に、創業した青砥酒造は、その両軍が戦った山のふもとの静かな街道沿いにあります。緑豊かな景色は当時から変わらないものの、創業した頃の街道には、酒屋、醤油屋、旅館、馬車屋、芝居小屋などが複数立ち並び、大変賑わっていたようです。また、安来と言えば、「どじょうすくい」で知られる「安来節」も有名です。安来節の一節と伝わる「月の泉に白滝くめば、心ほろ酔、家の福寿は保証つき」にちなんで、戦前までは、「月の泉」「白滝」「ほろ酔」「福寿」の4銘柄を造っていました。

戦後

戦後は、一日の疲れを癒す晩酌の一杯、明日への活力を生む百薬の長として人に優しい日本酒を造りたい。優しい酒には、優しい響きの「ほろ酔」がふさわしいという思いから、銘柄を「ほろ酔」に統一。さらに、「人生すべからず、ほろ酔い程度がちょうどいい」という三代目の信念も込められています。代々受け継いできた酒造りへの思いや伝統を大切にしつつ、今、喜ばれる酒は何かを問ながら、新しい酒造りにチャレンジしています。

酒造り
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